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冴雫
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重衡誕「じんと染む」→続編「じんとくる」のさらに続編。

タイトルの読みは「じんと熱(ほめ)く」。


甘々…を目指しました。

が、甘々というか「じんとくる」翌日のプロポーズ話(←ネタバレの為反転)







 あと数刻も経てば立待月が夜空に輝こうという夕刻。
 望美は、梶原邸の庭を眺めながら昨日の出来事を回想していた。

 そこへ、足音が聞こえてきた。
 耳に馴染んだその足音は、いつも楚々と歩く朔のものであるはずなのに、今は幾分慌ただしい。

「……望美!」

 呼びかける声も、どこか逸っている。

「どうしたの、朔?」

 切迫感はないが、何事かがあったのかと、望美は立ち上がって朔に近寄った。
 すると朔は、望美の顔をじっと見つめてから、躊躇いがちに口を開いた。

「……重衡殿がお見えになっているの。あなたに会いたいって」
重衡さんが!?」

 そこで、望美は朔の気遣わしげな視線の意味を理解した。
 朔は、昨日望美と重衡の関係が変わったことをまだ知らない。
 一昨日までの、ぎこちない距離を保った二人のままだと思っているのだ。
 望美が、重衡に特別な想いを抱いているのも承知で。
 本当ならば昨日帰ってきてすぐに話すつもりだったのに、夜の遅さや朝昼の忙しさ、何より未だ夢見心地な望美の心境から、まだ話すことができていなかった。

「あ、あのね、朔。重衡さんとは、もう大丈夫だから。詳しいことは後でちゃんと話すから!」
「――わかったわ。ひとまず、重衡殿に会っていらっしゃいな」
「うん。ありがとう、朔」

 重衡が案内された部屋を聞き、早足で向かう。
 梶原邸にすっかり慣れた望美は、すぐに目的の場所へ着いた。
 御簾も蔀も下ろしていない部屋には、重衡の姿を遮るものはない。
 足音に顔を濡れ縁に向けた重衡に、望美は風で乱れた髪を整えながらも笑みをみせ、腰を下ろす。

「重衡さん、お待たせしました」
「いいえ。急に来てしまって申し訳ありません。昨日のことが夢ではないのだと、あなたに会って確かめたくなってしまって」

 言うなり、重衡は望美の頬に右手を伸ばした。
 言葉通りに、望美の存在を確かめるように。

「重衡さん……」

 彼と同じ気持ちを抱いていた望美は、頬を赤く染めながらもその行動を受け入れた。
 望美も重衡の存在を確かめるように、掌に顔を預け、うっとりと瞼を下ろす。
 すると、重衡が優しい声音で望美を呼んだ。

「――神子殿」

 重衡の呼びかけに、望美はぱちりと目を開けて、瞬きを繰り返した。

「……あの、重衡さん」
「はい、何でしょう?」

 重衡が首を傾げると、望美はもごもごと口を動かした。

「その、名前……を……」

 言いたいことを表すには短すぎる台詞だったが、重衡はそれて理解したらしい。
 くすりと笑い、思案げに目を伏せた。

「――私は、あなたをなんとお呼びしたものか。源氏の神子殿――十六夜の君、いや――」

 呼称は変わっているが、かつて十六夜の晩に交わした会話をなぞるような重衡の言葉。
 望美も、かつてを思い出しながら呼んで欲しい名を紡いだ。

「……望美。私の名前は、春日望美です」
「ええ、存じておりますよ。あなたに似て美しい、望月と同じ名ですね。その御名を私が口にしてもよろしいのでしょうか?」

 重衡が意地悪く尋ねてくるのに、望美はこくりと頷く。

「――望美殿」
「……はい」

 重衡は、望美の名前を呼びながら膝を詰めた。
 そして、望美の髪を一筋掬い取り、恭しく口づける。

「私の姫君――」

 指先を頬へと戻し、反対側の頬へ唇を寄せた。
 恥ずかしさに身を縮こめる望美の顔を上向かせ、瞳を覗き込む。

「ねえ、愛しい姫君。――私のもとへ、来ていただけませんか?」
「え?」

 重衡の突然の申し出に、意味を把握できず、望美はきょとりと目を丸くした。

「この一年は、私たちにとって必要な時間だったと思います。けれど、あなたと言葉を交わすことも、触れることも、数少なかった……。それを補いたいのです」

 言葉を実行するように、重衡は話しながらも瞼に、額に、鼻先に、髪に、口づけを落としてゆく。

「今は、客人としてでいい。邸に留まっていただけませんか?」
「でっ、でも、それはさすがにお邪魔じゃ……」

 望美は焦り、重衡の胸を押して距離を取って遠慮の言葉を口にすた。
 その行動は重衡の瞳に不満そうな色を落とした。
 それでも無理を強いるつもりはないのか、重衡は望美の髪をゆるりと撫でるだけに切り替えた。

「……ならば、客人などという間怠い手段を取らずに、妻として邸に入っていただけますか?」
「つっ……!?」

 これ以上はない、という程に赤く染まり、言葉に詰まった望美の左手を、重衡が取る。
 まるで、中世の姫に忠誠を誓う騎士のような仕種で、薬指に口づけた。

「望美殿、私の妻になっていただけますか?」
「そっ、そんな、いきなりっ……!」
「いきなり、でもありませんよ。私は、あなたがこの世界に残っていたのは、私のためだと自惚れておりますから」

 慌てる望美に、重衡はにっこりと笑いかけた。

「そこまで私のことを想ってくれるあなたを、私も同じく想っています。そのあなたを妻に迎えることに、何の問題がありましょう」

 問題ならある、と望美はどこか冷静な部分で思った。
 和議を結び、それから一年経ったとは言え、彼は平氏で望美は源氏だ。
 望美が平家の邸に出入りするだけでも、未だに口煩くしている者がいると聞く。
 婚姻ともなれば、その声が大きくなるだろう。

 望美の不安が顔に表れたのか、重衡は安心させるように微笑んだ。
 けれどその瞳は、怖いほどに真剣だった。

「――周囲のことを考えれば、問題はないとはいえません。ですが、それを抑えるくらいの自信はあります」

 重衡は、そこまで言ってふっと眼差しを緩めた。

「あなたの為とあらば、還内府殿や、九郎殿、梶原殿など、あなたの仲間も力を貸してくれるでしょうし」

 そう告げると、また真剣な面差しに戻る。
 重ねたままだった望美の手を再び持ち上げ、薬指を親指で抑えた。

「あなたの世界では、この指に指輪を贈るのが誓いの証だと聞きました。指輪はありませんが、どうか誓いを私にいただけませんか? いつか、私の妻になってくださると」

 望美は、もう重衡の懇願を否定することなどできなかった。
 突然すぎて驚きはしたけれど、それは望美が心の奥底で抱き続けていた夢でもあったのだ。

「………………はい」

 言葉が出ない代わりに、望美は嬉しさを表す為に精一杯微笑んだ。
 そして、落ちてくる影に目をつむり、熱い唇を甘受した。

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